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「今、ここ」の私

「今、ここ」を意識して生きています。

自分のアイデンティティ

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ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

 

 

読み始めた最初の2章ぐらいまでは「おぉー」と思っていたのですが、読み進めていくうちに混乱・・・と言うかよくよく考えながら読まないと全然わからないなというのが感想です。

ま、1日でいっきに読もうとしていたのですが、そういう本ではないのかも・・・

混乱して頭がぐるぐるしてきたのでいったんやめます・・・。

 

もう、色々書いてある分厚い本だけど、要は「いま、この瞬間に在る」重要性を延々と綴っています。

 

ただ、ほほー、と思ったのは自分のアイデンティティの事。

 

まず、エゴは「ほんとうの自分」ではない、「大いなる存在」が「ほんとうの自分」であるという前提があります。

 

その上で、私達は、自分自身をモノに見出そう(=自分と同一化=自分のアイデンティティとする・・・つまりそれが自分である)とする。これがエゴ(の1つ)であると私は解釈しました。

モノというのは形あるものもそうですが、自分の役割とか願望とかそういったものも含むのかなと思います。

 

私はこの服を着ている=これが私

私はお金を持っている=これが私

私はこの人と付き合っている・結婚している=これが私

私はこう見られている=これが私

私はこう思っている=これが私

私はこういう状況にある=これが私

 

これらはすべて幻、ニセの自分(エゴ)。

 

うーん、うまく書けない・・・と言うか本を読んでいた時にはおお!と思ったのにおぉ!と思った内容を忘れた・・・。

 

つまり外側の世界が鏡みたいになっていて、そこに映る自分を「私」と思っているということかな。でも、それは違うと。

これらは幻=ニセの私=無意識で、これにアイデンティティを与えるのはエゴに力を与えるだけだと。

これらにアイデンティティを与える、つまりこれらが「自分である」と思わなければ苦しみも痛みもない。

形あるものは儚く無常。そんなものに自分を同一化しているから自分も不安定になるのだと思いました。

 

よく、「ぶれない私」とか「自分の軸」という表現がありますが、大いなる存在と自分を同一化し、モノにアイデンティティを与えて「自分」とすることをしないことかなと思いました。なぜなら、大いなる存在は無常ではないから?

 

うーん・・・難しい。

 

逆説的に考えた方が簡単かな。上の例が、

この服を着こなせなかったら私じゃないのか。

お金を持っていなかったら私じゃないのか。

この人が彼・旦那じゃなかったら私じゃないのか。

 

・・・ってなりますよね。

そんな移ろいやすいものに自分を見出しているから自分が不安定になるのだと。

そうではない、大いなる存在が自分であるとした時に、心の平和があるということかな。

 

以上はあくまでも私のまとめ&整理のためのメモです。

 

P113

誰かが承認してくれようとくれまいと、あなた自身にどんな違いがあるか。

 

本当にその通りだと思います。

とにかく、他人やモノに自分のアイデンティティを与えることはしないと心に決めました。

 

なんだか自分がどうしてこんなに「今、ここ」を求めているのかわからなくなってきた。

 

はっ!求めない、探さない、追いかけないって書いたばっかりだった(笑)。

 

私はただただ今まで過去や未来、他の人に使ってきた無駄なエネルギーを自分のために、そして純粋に他の人のために効率良く使いたいだけ。

それが生命を尊重し大事にすることだと思うから。

 

実践あるのみです。。。